徒然なるままに~
おくりびと桝田の活動やコラムを不定期に更新しております
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2025.5.2 弊社の事業形態の例え笑
個人的に、自動車などのレストア番組や動画を見るのが好きです
見ていると、レベル云々は置いておいて、我々の業界との共通点も感じたりします
作業としては
・塗装はリキッド&パウダーファンデ、ハイカバー
・プライマーはルースパウダー、ドライエン、スキンフィルム
・パテはワックス、ワセリン、紙粘土
・膨らますのは造形剤や脱脂綿
・腐った部分を切り外すのはメス
・溶接でくっつけたりするのは縫合
等々・・・
業態としては
ディーラー、整備、板金塗装、修理屋などがあり
自動車業界に例えると
・葬儀はディーラー
・整備は納棺士
・板金塗装は復元納棺士
・修理・改造はエンバーマー
といったところでしょうか笑
もちろん、整備と修理をするところや、ディーラーと整備をするなど、複数業態を受け持つところもあるのも同じです
私の業態としては
販売と整備がメインだけど、ある程度、板金塗装や修理もする店的な感じだと思います
完璧を求めるなら、復元納棺士やエンバーマーに依頼するのが良いのでしょうが、費用面や時間から適度な完成度で良い場合、私のようにある程度幅広く、格安で対応できる業者は、現在の低価格葬儀時代には合っているのかもしれません
もう少し若ければ、エンバーマーの世界まで行って、復元・修復技術を極めたいなと思いましたが、現実的に、私の人生としてはここまでが縁なのだと思います
後は想像と研究と独学と経験で地道に積み上げていくしかないなと思っている感じです
そんなところですね
2025.4.10 ライバルでもあり、リスペクトもあり…
納棺備品を仕入れている業者はいくつかありますが、時々、各業者の人が挨拶に来られることもあり、近所の喫茶店でお会いすることがあります
自宅を事業所登録はしているのですが、普通に自宅なので笑、別の所でお会いするわけです
情報交換や、近況を話したり、新しい商品の紹介を受けたり、発注している商品を受け取ったり、いろいろと対話をしながら短い時間ですが過ごさせていただきます
先日、とある仕入業者の方と話していたら、次に伺うところが、自身が強く影響を受けた納棺会社でした
私自身、他県にいる後輩達との交流はありますが、近隣の同業者との交流はほぼありません
葬儀社だと、隣の市や町の業者との交流はあったりしますが、納棺業の場合、複数の市町村を超えての営業になる為、近隣の同業者は悪く言えば商売敵になる事もあり、難しいのだと思います
ただ、個人的にはその業者の社長の、所作、振る舞いが気に入ったことがこの業界に挑戦した理由でもあるので、今でもリスペクトしている旨を伝えて欲しいと、仕入業者に伝えました
今後も近隣の同業者との交流はあまりないとは思いますが、良きライバルとして、またリスペクトを忘れずに、自身の会社を運営していこうと考えております
2025.3.2 納棺士になるために⑦ 皆で共有
基本的に納棺士は男女のペアで動くことが多かったため、基本女性納棺士の方と行動をすることが多かったです
余裕のある時は時間を区切り、実際の処置や着せ替えを経験させてくれることもありましたが、最初の頃は遺体の勝手の違いにビビり過ぎて何もできないことが多かったので、時間切れになる事ばかりでした
今では当然のようにしている鼻腔に綿花を詰める行為も、当時は詰める際の圧力に混乱しまくってました
また、余裕が無い為、周囲が全く見えず、空気の読めない行動をして何度も注意をされました
「あなたは年齢が高いのでバタバタしていたら、ご遺族が通常以上に不安になるから落ち着いてください!」と施行前に言われたときは無茶苦茶緊張しました笑
他にも終わってから車の中で「私の湯灌人生で一番最悪の湯灌だった、も~最悪!」と言われたこともあります
施行台で体を起こす際、故人を一回転させたときは呆れるを通り越した女性納棺士の「勘弁してくれよ………」という言葉も印象に残っています笑
今となってはその気持ち無茶苦茶わかるのと笑、今でこそ湯灌はもとより、復元技術で葬祭師や県警の方から多少の信頼は得られる存在になりましたが、当時はキツイ指摘をよく受けました
言われて落ち込んだ時もありますが、当時夜間学校だったアカデミーが始まる前に、近所の喫茶店で同じ現場研修をしていた仲間と、お互い指摘されたこと、各納棺士の方の特徴、いろいろな感情を共有できたことは心の救いになりました
君もそんなこと言われたの~とか、それは俺も気にしてなかった今度は気を付けるわ等々…笑
綿密な資料を作成したこともあり、それを見たアカデミーの先生たちには大ウケでした
そこの納棺会社の社長が「あいつは普段そういうことを言うんだな」と、社長の知らない一面も垣間見えていたようで、盛り上がり過ぎたので、納棺士の人に迷惑が掛かるといけないと、以降はその資料は非公開資料にしました笑
現場研修はかなり現場度胸がつく経験となり、経験しない学生との精神的な差はかなりついたと思いますまた、2か月もするとある程度余裕もできてきて、遅れている他の学生へのサポートもできるようになったなと思いました
それと同時に、ある不安がこのころあたりから出てきました
2025.2.14 納棺士になるために⑥ 湯灌の研修
6月からの湯灌サービスの現場研修に参加する為、希望者は授業とは別に、アカデミーに湯灌会社の講師を招き、2回ほど、湯灌の説明、練習がありました
現場研修とはいっても、ただ現場を見学するのではなく、担当者の補助として現場をサポートする必要があり、サブスタッフとして働く為、バイト代、交通費が出るものでした
アカデミーの授業でも湯灌授業はありましたが、それよりも実践的なスタイルでの練習でした
葬祭時代に傍から見て多少わかっているつもりでしたが、いざやってみると慣れない動きにかなり苦労しましたが、ついにここまで来た!これで現場に行ける!みたいな充実感もあったので、夢中になりました
湯灌サービスには主に①浴槽を持って行うシャワー湯灌、②体を濡れた脱脂綿などで清拭する清拭湯灌(メイクドレス等)の2種類があります
前日までにアカデミーから翌日の施行場所、時間、納棺士の名前、待ち合わせの場所等が提示され、そこへ向かい、納棺士の人と合流、車に乗せていただき現場まで行くというのが多かったです
まれに葬儀会館への現地集合の時はプチ旅行みたいで少し楽しかった覚えがあります
バイト範囲は千葉県を中心に、埼玉、東京の三県が中心でした
清拭湯灌は割と見学に近い環境で携われましたが、シャワー湯灌の場合はサブとして動きまくる必要がありました
始めは、メインの人が処置をしている間に、サブの私は浴槽を組み立てたり現場を整える役割があり、15分程度で終わらせないと、メインの人を待たすことになるので、最初の頃は無茶苦茶焦りました笑
また、メインの人が頭のシャンプーやコンディショナーをしている間に、サブの私は故人の洗体をする為、両方がなるべく同じ時間が終わるようにする必要もあり、最初の頃は合わせるのが難しかったです
その後、メインの人が着せ替えなどをしている間に、道具を片付け、車に運ぶ必要もあり、そのあと、旅支度などの補助へ移行する為、終わるころにはヘトヘトにになったものです
今では一人でシャワー湯灌をしている私ですが、この頃は半人前どころか4分の1人前だったと思います
教える側になってわかりますが、慣れない新人を連れて行くと気を使いまくるものなので、当時の納棺士さんには相当負担をかけただろうなぁとは思いましたが、その頃は、時間、周りを見る余裕などなかったのでとにかく必死になっていた覚えがあります
そのような感じで、現場研修が始まりました
2025.1.9 新年が始まりました
昨年はいろいろと自身の環境が色々と変わりバタバタしておりました
今年はいろいろと周囲の環境が変わるようなので、その流れに多少なりと関われるとありがたいなと思います
年末、年始と有難い事に依頼を頂いている為、ホッとしております
月の出足が良いと安心するのは今も昔も変わりません
人の生き死には操作できないので仕方がないのですが、仕事が止まると不安になるのものです
それが月の始めから続くと、いくら前月の成績が良くても、気分が上がりづらかったりします
納棺や葬祭に関わらず、経営する立場の人達、共通の心理かもしれませんね
私の場合は、主に①最低獲得利益、②安定獲得利益、③上乗せ利益と三段階を設け、最初に低い目標を設定することで、精神を安定させ、前向きな心理になりやすいようにしています
自身の性格を考え、自身の気持ちが落ち着くスタイルを模索していますが、今のところはこれが良いようです
近所の神社のおみくじでも、むやみに動かず、流れを待てと出ているので笑、今年もぼちぼち頑張ろうと思います
2024.11.26 各サービスの感覚的負荷
シャワー湯灌新サービスの準備や、業務が忙しかったこともあり、更新が途絶えておりましたが、ようやく安定したので再開です笑
私のしているサービスは主に3つ
メインは
・湯灌・納棺サービス
ですが他にも
・葬祭担当サービス
・司会進行サービス
があります
経験から感じる負荷は
葬祭担当…お迎えから打合せ〜、お別れ〜出棺を緩やかなピークに、後飾りを持って終了
2日から3日間の穏やかな緊張感がずっと続く感じです
司会進行…通夜1時間前から始まり、お別れ前ナレーション〜お別れをピークに出棺までの、役18時間、緊張が続く感じ
最後に山が来る!といったところです
湯灌納棺…挨拶から終了までの約2時間弱を全力で全集中を続ける感じ
全力連続坂道ダッシュ!笑
どれが楽という事はなく、終了後の達成感は同じです
私の場合、状況により、三つ全て施行したり、湯灌・納棺~司会進行になることも多々あるので、上記の負担が一気に来ることもあります
連続して仕事が続くと、肉体はもとより精神が疲れるので、心が摩耗して、仕事以外では人間的思考を閉じることもあります
脳に備わった防衛機能かもしれません
そんなとき犬や猫と過ごすと、癒されるというのもありますが、思考がシンプルになりリラックス出来ることもあり、助かってるなと思うことも多いです
そんな事を考えたりしながら犬の散歩したりもしてる訳です
2024.06.29 納棺士になるために⑤ 授業スタイル
基本的に授業は着せ替え、座学(知識・勉強)、化粧・処置の授業でした
納棺にとどまらず、葬祭全般の勉強もありました
当時は、港区三田の寺院の一部を間借りしていたこともあり、着せ替えは広い和室、座学・処置は画像のような教室で行われることが基本でした
葬祭を15年以上していたこともあり、座学に関しては他の人と比べるとアドバンテージを感じたものの、着せ替えや処置的なものはとにかく0からのスタートでしたので必至でした
定期的な試験もあったので、改めて葬儀概論などの専門書をきちんと読み返すことが出来たのは良かったと思います
また、葬祭を長くやっていると経験や勘のようなもので乗り越えられることも多くなりますが、グリーフサポートや法律、業界関係やサービス心理などを学術的に学ぶことが出来たことはとても役に立ちました
ただ以前にも書きましたが、とにかくはじめの頃は毎回毎回緊張していました
その上で、実質最初の授業となった日に、生徒12名を6人ずつのAB2班に分けられたのですが、年齢・経験を考慮されたのか、B班長に任命されたこともあり、輪をかけて緊張しました
班長といっても、あまり重要な役割はなかったのですが、みんなの相談役みたいな感じになってました
どちらかというと私が相談したかったぐらいなのですが笑
そんな中でも一緒に練習してくれた仲間達にはかなり救われたなと思ってます
練習に誘ってくれる人がいたというのはとてもありがたかったです
6月に入ると、いよいよ湯灌のサービスのサポートのアルバイトが始まることになり、実践に飢えていた私はいの一番に参加を希望することになりました
2024.06.23 納棺士になるために④ ホームシック
最初の頃は授業に参加する以外することが無かったこともあり、とてつもない孤独に襲われていました
仕事も辞めている事もあり、お金はほぼ使わないようにしていたため、何も無いときには気分転換に周辺を散歩する程度で、殆ど、マンションに引きこもってました
孤独のつらさに加え、収入が無く、どんどん資産が目減りする焦燥感もあり、ついに、まさかのホームシックにかかってしまいました
プロ野球などで助っ人外国人選手がそうなったと聞いたときには、無責任にも契約を遂行することを求めていたものでしたが、このような心理なら仕方がないかもしれないと思うほどでした
帰っても怒られないとは思いましたが、ここで撤退することは、全てを捨てて、自身にとって大金をはたいて排水の陣でここに来た意味が無くなるから負けるわけにはいかないと、自身に発破をかける為に、いろいろと対策を取りました
今思えば病的ではありますが、思いついたポジティブな言葉を紙に書いて壁に貼り付けまくる、少しでも今後の自分に役に立ちそうな通信講座を受けるなど、思いつく限りの孤独を埋める行動に取り組みました
過去の通信講座で完遂できたものは無かったのですが、このときの講座に関しては無事に終了したので、それはそれでプラスになったと思います
週末の休みの日には夜行バスで三重県に帰ってはいたのですが、近所の汚いドブ川すらいとおしく見える程でしたので相当病んでいたのだと思います
2ヶ月ぐらいその状況が続きましたが、少しずつ慣れてきたのと、湯灌のバイトをするようになり、少しずつ紛れるようにはなってきたわけです
2024.02.10 納棺士になるために③ 緊張の初日
扉を開けて入った瞬間、そこはほぼベッドでした笑
もちろん、時間が無く物件を見る暇が無かったこと、予算も限られていたので仕方が無いのですが、余りの狭さに凹みました
それでも、半年の辛抱だと思い、我慢することにしました
翌日はテーブル等、足りない物品を購入する為、2~3駅離れた商店街へ徒歩で往復しました
そして4/3はアカデミーの入学式でした
2018年4月入学 6期生と言うことになります
後に首席で卒業することにはなるのですが、この頃は…
女性9名、男性3名とほぼ女性。当然全くの初対面。年齢は10代から60代までと幅広く、この歳になって学生としている自分に少し恥ずかしさも感じました
とにかく緊張してガチガチだったことを覚えています
表向きはそう見えなかったようで、葬祭経験者である事は先生達は知っているので、色々と役を与えられたりもしましたが、個人的には余裕はなかったです
初日は入学式、オリエンテーション、学内見学、記念撮影の流れだったと思います
当時は港区三田にあるお寺のスペースを間借りしていたので、独特の配置になっておりました
近代的な寺院で、法事ルームに法要スペースが複数有り、そのスペースへお骨が自動で運ばれるシステムだったので都会の寺は進んでいるなぁとも思いました笑
男性陣は少数派だったこともあり、割と早く打ち解けました
若い生徒さんだと同行されたご両親の方が年齢が近い為、そちらからも声を掛けられたりと、余裕がないのに各方面への対応をしておりました笑
全て終わり、帰ろうかと思ったところで、女性陣の一部から懇親会的なものに誘われたので、参加させていただきましたが、終始緊張しまくっていたことは言うまでもありません
とにかく緊張した初日が終わり、学生生活が始まるのですが、それからしばらくして予期せぬ深刻な問題が発生してしまうのでした
2023.09.03 納棺士になるために② ~経過
2017年末にはおくりびとアカデミーに入学する決断をし、その頃から周囲にはそれを伝え始めました
世話になった葬儀社である事、正社員が一人欠員になる為、迷惑を掛けないよう、代わりの人員が補充されるまで1年待てと言われれば待つつもりではありましたが、思いのほか周囲は後押しをしてくれたという状況であったこと
妻や両親も理解をしてくれたので、満を持して願書を送りました
早速面接の連絡が来たので、日帰りで当時は港区三田にあった本社に伺いました
2月頃だったと思いますが、社長直々の面接でした
今思えばカリスマ社長相手なのですが、当時はそこまでの知識は無かったので、若い人が社長なのだなぁと漠然と思っていた位でした笑
どこか手頃に下宿できそうな所を斡旋してもらえるのかな?と思っていたのですが、特にそれは無かった為、急いでネットで賃貸を探しました
どうせ東京だし、手頃でまともなところは無い、半年の辛抱だと、近場、予算優先で探していたところ、東五反田にマンスリーで水道光熱費、ネット通信量、寝具テレビなど全て込みで10万と言う格安物件があったので、即決しました
また機会があったら書きますが、その頃、葬儀後約2ヶ月、ご遺体を火葬せず自宅に安置し続けているかなりグリーフの強いご葬家の対応を平行して行っており、他のスタッフに引き継ぐのも申し訳なかったので、最後の仕事をここの出棺にすることにしました
会社としては半年間の休職扱いの提案もしてくれましたが、人生の重大な選択、背水の陣で行きたいと思った為、退職することにしました
通常、退職する場合、最後の半月ぐらいは有休消化になりますが、この葬家対応もあり、消化せず、ギリギリまで対応、4月1日に無事出棺を見届けた後、荷物をまとめ、妻に駅まで送ってもらい、東京に向かいました
現地に着き、過剰な荷物を担ぎながら賑やかな東京の夜の町を歩き、無事物件に到着
高層ビルとビルの間に空襲を逃れたかのように存在するボロい建物でした笑
安く東京で住むなら上等だと玄関の扉を開けた瞬間の衝撃はいまだに忘れられません
2023.05.23 青は藍より出でて藍より青し
5/21(日) 古巣のそうそうの森 山城のイベントに参加してきました
昨年の11月にも参加させてもらったのですが、今回はより本格的な参加を目指し、いろいろと準備をしました
流れとして、パワーポイントによる軽いセミナーの後、着せ替えのデモンストレーションをしました
前回は着せ替えのモデルが用意できなかった為、デモはマネキン相手でせざるを得なかったのですが、今回は後輩が日にちを押さえてくれた為、本格的なデモンストレーションができました
セミナー+着せ替えデモで約30分ほどでしたが、しっかりと出来たことは大きな収穫でした
導線の問題、内容の合理化など、課題もあったので、次回機会をいただければ、場所と内容を含め、改善していこうと思いました
終わってから、後輩と喫茶店で1時間位、湯灌・納棺について色々と話しましたが、先輩である私を超えている分野もいくつかあったので、そこに関しては、いろいろと学ばせてもらいました
青は藍より出でて藍より青し
という言葉もありますが、されど、私もまだまだ負けてられないなという刺激も受けられたので、ありがたかった
湯灌・納棺に関しては、孤高に近い環境の為、最新の情報交換が出来る相手がいないので、こういう交流は助かります
なので、この関係性だけは維持していきたいですね