徒然なるままに~
おくりびと桝田の活動やコラムを不定期に更新しております
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2025.12.18 納棺士になる為に⑭ 教えるよりも
一人で現場へ伺い納棺をする事は、とにかく不安よりも期待、楽しさが上回っていました
試行錯誤しながらも、日々、成長を感じられる充実感も感じておりました
ただ、同時に山は高いなとも思っていました
そんな中でも、会社としては施行数を増やす必要もあり、新たに新人を採用していくわけです
東京に葬祭部の本社があったので、納棺の修行の為に3週間~半年、1年程の期間限定でやってくる人、地元採用する人など、様々な人が入ってきました
当然、先に納棺士となっている私たちが今度は指導する側に回る必要もあるのですが、この頃の自分にとって、そんなことよりまず自分の技術を上げたいという思いもあったので、なかなか指導というところまで気が回りづらかったというのが現実でした
例えば、新人の人に現場の処置をさせると時間が掛かる、だから、ある程度の時間が来たら、私がしてしまったり、故人の状態により、自分が最初からした方が安全だったり、また、仕事感覚が開いた時に感覚を戻す為、自分があえて施行するという事もありました
不良施行を提供するわけにはいかない為、仕方のない事ではあるのですが、なかなか新人に現場を経験させることが出来ないこともあり、成長に時間が掛かったケースもありました
本来の会社であれば、ベテランの人が教育係として、そういう部分を担うのでしょうが、新しい会社、新しい部署だったこともあり、そういう人はいませんでした
逆に、うるさい指導者がいなかったことで、自分にとっては好きなだけ試行錯誤が出来たので、今日の成長につながるのですが、教育システムとしてはやはり不完全だったなと思います
今の実力で当時に存在できれば、大きな組織にできた自信はありますが笑、それも縁なのでしょう
今となってはという表現が多くなってはしまいますが、私を含め未熟なスタッフ達が集まっての練習会や定期的に集まって納棺や人生的な物に対する対話などを良くしていたので、仕事は大変だったので戻りたくはない過去ではありますが笑、個人的には充実した思い出となってます
そんなこんなで施行しつつ教育しつつという状況がしばらく続くことになります
時系列としては
2018年11月私が入社、2019年2月に私は納棺士デビュー、2019年3月ごろから新人がボチボチ、5~6月ごろまでの状況といったところです
2025.11.7 気が引き締まる出来事
この仕事をしていると、時間差で感謝されることがあり、恐縮ですが驚くこともあります
2年ほど前にとある寺の住職の葬儀の時に、幕張装飾などの設営サポートを施行させてもらったことがありました
その時、ご遺族が故人の開口状態を気にされていたので、生前、色々と世話になった住職だったこともあり、香典代わりにと閉口処置をさせていただいきました
先日、別の葬儀社での湯灌の際、お勤めに来られた奥さんにお会いしたのですが、その時のことを厚く感謝されました
私の事をよく覚えていらっしゃったことに恐縮しました
また、1年半ほど前に施行させていただいた女性のお父様が、最近その葬儀社に来られ、私にどの様な気持ちで納棺をされているのかと問われたこともありました
私は
ご遺族の心の中にある故人の姿に思いを寄せている事
華美な化粧にこだわるのではなく、適切にリサーチをし、ご遺族にとってはどのような姿が自然なのかを大切にしている事
新人には自分にとっての正解よりも、ご遺族の正解を大切にすることを教育している旨を伝えました
だから、いつも通りの娘だったのかと腑に落ちられたようで、娘に代わり感謝しますと言われました
その人の心が癒えるのはまだ先かもしれませんが、その時の施行が少しでも助けになっていただけたのならば恐縮であります
これからも今まで通り、一つ一つの施行(処置、納棺、司会、設営等)を悔いなく、全力で取り組んでいこうと、改めて気が引き締まりました
2025.10.5 納棺士になる為に⑬ デビュー
新人には二通りあると思います
一つはミスをしないように先輩の言うことをしっかり聞きながら控えめで無茶をあまりしない人
優等生
もう一つは、とにかく失敗上等で現場で施行したがる人
野生児笑
指導する側になって思うのは、伸びるのは圧倒的に後者ではあります
ただし、大変なのも圧倒的に後者ではありますが笑
積極性は絶対必要
私と同期だった人、北海道から来た人、二人ともまさに後者
かくいう私も後者でした
獲物を取り合うように、仕事が入ったら取り合いをしてました
やらかした時は先輩後始末よろしく!
その位の勢いがある方が本当は良いのです
ただ、そのスタイルだと、時にとんでもないミスを起こす恐れもあります
組織としてはクライアントからのクレームが何より恐ろしい為、余裕のない上司だと、どうしても圧力で部下を押さえ込んでしまいますし、そうしたい気持ちもわかります
しかし、その結果、スタッフは委縮し、伸びしろの無い組織になるのです
この頃はそういう上司がいなかったこともあり、とにかく伸び伸びとさせてもらう事が出来たのは大きかったです
当時の上司の人は相当ストレスはたまったと思いますが苦笑
私は豊富な葬祭経験がベースにあったので、現場の雰囲気を作ることに長けてはいたので、大やけどをすることはありませんでしたが、各地から色々とやらかした情報は聞こえてきたものです
豊橋、豊川、岡崎の仕事は割と緩やかだったこともあり、ここで実力をつけ、ある程度できるようになったら、浜松、磐田、掛川で鍛えるという流れが結果的には良かったと思います
組織としても、立ち上げて間もない納棺事業部のスタッフを増やしたいという考えもあったので、割と早く試験を受ける事が出来ました
入社3ヶ月目の2月ごろに試験だったと思います
おくりびとアカデミーを卒業している為、デモンストレーション的な想定試験は免除されていたので、とにかく現場での施行でした
上司、先生が施行に付いていき、私の施行を最初から最後まで見て判断する
楽な故人な事もある為、1回上手くいったから合格という事にはなりません
ご遺体処置、施行時間も含め、多岐にわたる確認を何度もされた上で判断されました
私は3人の中では最初に合格をしました
今度こそ最初にデビューすると意気込んでいた同期の若い人はまたも私に先を越されました
ただ、先生の話では、彼は若いから一度鼻っ柱を折ってあげた方が良い、その方が彼の人生の為だからと言っていたので、そういう事情もあったのだと思います
数日して彼も合格、その後北海道から来た人も結構苦戦はされてましたが合格しましたから、ほぼ同じ時期に3人の納棺士が誕生することになりました
緊張感もありましたが、ようやく、デビューが認められて、現場に一人で行けることに解放感とうれしさを感じたのも事実です
今の実力が100とすると5ぐらいの実力でしたが笑
なので、まだこの時点ではデビューはしたものの、納棺士としては未熟なので、まだまだ連載は続くのです笑
2025.9.7 納棺士になる為に⑫ あえてライバルとなる
出勤当日は緊張しました
アカデミー入学式の時もそうでしたが、いくつになっても初めては緊張するものです
やれることと言えば、先輩スタッフが作った資料に目を通す、現場があったら着いていく、挨拶に同行、時間があったら練習程度ではありました
私より10歳ほど若い人でしたが、直接アカデミーの先生をしていた人が同じ職場にいるということは当たり前とは言え、不思議な感じはしたものです
1カ月ほどすると発祥地である北海道の支店から社員が一人、3~4カ月程度の納棺研修として豊橋にやってきました
年齢は一回り以上若いが、かなり積極的な雰囲気の人でした
また、その頃になると、浜松に配属された、同期の人にもあったりと、納棺事業部としての交流もはじまりました
同期と言っても、北海道から来た社員の人よりもさらに若いのですが笑
元アカデミー講師の先輩、アカデミーの先生、同期、北海道からきた社員と、全員年下で、私はオールドルーキーとしてキャリアをスタートしました
一般的には3カ月から半年で現場デビューとなるわけですが、私や同期はアカデミーである程度下地は作っているので、3カ月程度で出られると思われてました
11月に入社したので、翌年2月位ということになります
私自身は正直遅れてでも良いから、きっちりとしてからスタートしたいなと思ってました
ただ、同期や北海道から来た社員の若者二人は早くデビューしてやろうと、ギラギラしてました
その上で、どうやら私にアカデミー首席卒業の座を取られたのが悔しかったみたいで、なんだか私に色々と競争をしにきているなという感じを受けました
実はそれ自体大いに結構な事だと思いました
多少、彼らが私の足を引っ張ろうとした形跡も無きにしも非ずではありましたが笑(私が手抜きしたときは上にチクるなど笑)、時間があるときにはとにかく練習ができたからです
なので、敢えてライバルとして受けて立つというスタイルに変えました
先生もアカデミーでは敢えて伝えなかった部分も教えてくれたりと、この時期にみっちり練習できたことは今にとても生きています
先生の凄まじい速度の着せ替えや、先輩の特殊処置など、今のベースとなっている技術をいろいろと見る事が出来たのもこの時期の収穫ではありました
私自身、葬祭師としてのキャリアもあり、ご葬家の前で落ち着いた自然な対応が出来ていたので、競争意識の高かった二人よりも現場の評価が高かったようです
とはいえ、現場の数は浜松が圧倒的に多く、豊橋は施行数が限られていた為、少しできるようになった12月上旬、お願いして浜松の施行に同行できるようにしてもらうことになりました
ここからデビューに向けて、シフトアップしていくことになりました
2025.8.7 納棺士になる為に⑪ 準備
三重に帰ってからは束の間の解放感と安らぎを感じながら過ごしていました
1ヶ月猶予はあると言っても、短いものです
その間、いろいろと県内ではありますが、日帰り旅行にも行ったりと英気を養っておりました
同時に、豊橋の物件を探す準備をしておりました
隣の豊川市の物件も見たりと、広く回りましたが、最終的には出勤場所に近いところを選択しました
6階建ての4階、エレベータあり、動物飼育可なところ(飼いませんでしたが)でした
東京時代より家賃は安い上に、広い物件でした
物品は東京時代のものを基本的に再利用しました
修行が終わり、三重に帰ってきたことの事も考え、テレビなどはパソコンにチューナーを接続するスタイルにするなど、あまり無駄なものは買わないようにしました
東京時代の引っ越しは宅配便を使いましたが、今回は車でできたので、その辺りの費用は抑えられました
自分の人生において、東京へ行くときの通り道にある町と認識していた程度の、愛知県の左腕の三河地域(豊橋、豊川、岡崎等)~静岡県東部にご縁があるとは夢にも思いませんでした
人生とはわからないものです
ある意味、全く想定していなかった地域の為、逆に新鮮に感じました
その上、豊橋は路面電車が走っていることもあり、カルチャーショックはすごかったです
慣れるまで運転はビビりまくりでしたが笑
ただ、とにかく安心だったのは車で家に帰れること
東京の半年は、週末帰っていたものの、公共交通機関利用だった為、家に何かあってもすぐには戻れないことは不安でした
自分に課した期限は3年
ここまで来た以上、納棺士として何がなんでも一人前になる!
その先はどうするのか?というのは正直全く考えてはいませんでしたが笑
既に、私が入学する前に、おくりびとアカデミーの講師をしていた人が3カ月ほど前から入っていて、ある程度下地は作ってくれていたのと、私が学生の時にアカデミーで講師をしていた人が3カ月ほどは現場に入るとのことで、戦力的には安心感はある状態ではありました
アカデミー2018卒業生から4名が入社し、二人は東京本部に、納棺部には私ともう一人の男性が配属されました
彼は浜松の方に配属されました
入社タイミングはそれぞれで特に彼らと顔を合わせることはなく、私は豊橋業務に就くことになりました
新たな挑戦が始まりました
2025.7.9 納棺士になる為に⑩ 新たな地へ
9月終わりの卒業式では、上位2名による卒業生代表スピーチがあり、ありがたくも主席卒業の私は偉そうにスピーチをさせていただきました
落ち着いて話せましたので、入学式の時にはガチガチで緊張しっぱななしだったのがウソのようでした笑
何を話したかはあまり覚えてはいないけれども、外国のメディアの方が取材に来た時に、外国の人がデモンストレーションを見て泣いていた事
海外の人でも理解できた納棺の儀は大切だ的な事を話していた気がします笑
その後、入学からの思い出のビデオ上映があったり、先生たちの動画メッセージなどをいただいたりと、少しばかり感慨にふける展開があり、その後、立食形式の懇親会がありました
何故か社長のお父さんが私に挨拶にきたりと笑、少しだけホッとした思い出があります
この辺りは記憶がいい加減でもあるのですが、その懇親会の後、上層部の方とお会いして、愛知県におくりびとの納棺事業部を立ち上げるので協力して欲しいと
数日前にも聞いていたのですが、本格的に条件提示もされながらの話となりました
それまでにもいくつか納棺会社への就職活動をしていたものの、ばか正直にいずれ地元で独立したいので就業は期間限定であると伝えていたせいで笑、良い返事はいただけてなかったこともあり、そのことを理解していただけたところに就職することにしました
とにかく、現状では戦力になれないから、現場で鍛えないといけないと思っていたわけです
その話が一通り終わってから、一部の卒業生たちと近くのレストランで食事をした記憶があります
入社は1か月後の11月
会社は愛知県豊橋市
10月いっぱいの家賃は支払い済み
1ヶ月は東京で好き勝手に過ごせるのですが、一つの目的を果たし、気持ちが抜けてしまい、基本週末には帰ってきていたのに、本格的に三重に帰りたくなりました
その為、家賃一か月分無駄にしましたが、10月初めには引き払い、荷物は全て宅急便で郵送、最後は新幹線で帰ってきました
長距離バスに乗る気力もなかったので、相当消耗していたのだと思います
東京生活の感慨にふける事も無く、私の東京時代は終わりました
2025.6.20 納棺士になる為に⑨ トップを目指す
8月も後半になってくると、将来の不安は近づいてきますが、まずは目の前の卒業試験に合格をするという必要があるので、目標に向けて動き始めました
ただ、正直その時に思っていたのはトップで通過する事でした
他の人達と違い、後が無い私には一つでも多く、箔が欲しかったわけです
現状を冷静に見た場合に、やはりキャリアの差は他の人より大きく、着せ替えに関しては互角だったとしても、他の部分ではアドバンテージはやはりあると思ってました
大人の世界の政治的な思惑があれば仕方がないとは思いましたが笑、圧倒的な差を広げるつもりでラストスパートをしてました
以前にも書いた通り、休みの日には夜行バスを利用し、三重~東京間を行き来してましたが、6時間の移動中の仮眠の時に、自身を洗脳するがごとく、録音した納棺の儀のセリフを延々とイヤホンで流していたりもしました
結果的にはこの方法はあまり効果はなかったと思います笑
大学の受験の時よりも、自動車学校の試験の時よりも勉強したこともあり笑、9月初めには十分仕上がっていたので、いつでもOKという状態になっていました
その為、休みが多く、進捗の遅かった人たちを誘って、試験前、最後の2日間は、一日6時間の事実上その人たちの為の合宿をさせてもらう余裕もありました
教えることも自分たちの役に立つので、自身の最終確認にも良かったです
教室が開いているときは自由に利用して良いという環境だったのは助かりました
当時、試験は3日間あり、一日目は筆記試験、2日目はスーツと神衣の着せ替え試験、3日目は仏衣の着せ替えかつ、最初の挨拶から終了して退席迄の納棺式一連の流れを行う、最も重要な試験でした
1日、2日目を順調に消化し、いよいよ3日目を迎えましたが、順番は最後だったため、ずっと待たされることになりました
先に試験を終えた人の絶望感や、これから試験を受ける人の無茶苦茶緊張している姿を尻目に見ながら、私個人は早く見てもらいたいなという、楽しみに近い待ち遠しさを感じておりました
それだけ十分すぎるほど仕上がっていたわけです
ようやく時間になり、試験になりましたが、ほぼいつも通りの心理でできました
途中、先生や社長がアドリブを仕掛けてきましたが笑、こちらもアドリブでし返す程度には落ち着いてました
終わってから、審査をしていたNKの社長から、場面の風景が想像できてとても良かったと言われたのにはさすがにホッとしました
ここからは記憶があいまいなところもあるのですが笑、17時ごろに試験が終ってから、社長から話があると言われました
後から聞くと、一部の生徒には話があったようですが、今後の予定をいろいろと伺い、それに対して、前向きな返事をした記憶はあります
何かよくわからないけれども、一気に事が進み始めている気がするなと思いながらも、試験の終わった解放感もありつつ、帰路につきました
2025.5.27 納棺士になる為に⑧ はらえぬ不安
当時の私は、納棺士として会得したい技術として
①着せ替え
②化粧
③処置
④顔剃り
がありました
今となってみればヘアセットもとても重要な部分ではあるのですが笑、当時は上記の4つが最重要会得目標でした
それらを会得する為に、自分でも資料や道具を集めて研究をしたりと、とにかく様々な事をしていました
今となってみれば、それらのほとんどは役には立っていません苦笑
ただ、この探求する心が今の私を作ってはいますが笑
実際、着せ替えの練習に関しては物凄くしていたのでかなり上達はしました
しかし、それ以外に関してはどうしても経験が不足していると思いました
当然ながら、今日はこのご遺体で処置や顔そりの授業をしましょう!というわけにはいかないわけです
授業に合わせて、立ち会い無しの、処置のし甲斐のあるご遺体が都合良く複数体現れるわけはありません
また、男性ということもあり、化粧に関してはどうにもならない現実に焦りすら感じていました
定期的に面談をしてもらえるので、その都度、追加でその辺りの授業を増やしてほしいとはお願いしていましたが、結果的にはその希望は通りませんでした
ただ、仮に通っていたとしても、では納棺士レベルになれるかと言えば無理だなとも思ってました
やはり半年で帰るのではなく、現場で1~3年、納棺会社で実戦を積む必要があるなと感じ始めていました
その為、たまたま地元で古巣の会長とお会いした時に、もう少し時間が掛かると、その旨を伝えたりもしました
家族にも了解は取ったものの、就職する会社は未定なこと、卒業試験が近づいてくる中で、次の段階を考え始めることになりました
2025.5.2 弊社の事業形態の例え笑
個人的に、自動車などのレストア番組や動画を見るのが好きです
見ていると、レベル云々は置いておいて、我々の業界との共通点も感じたりします
作業としては
・塗装はリキッド&パウダーファンデ、ハイカバー
・プライマーはルースパウダー、ドライエン、スキンフィルム
・パテはワックス、ワセリン、紙粘土
・膨らますのは造形剤や脱脂綿
・腐った部分を切り外すのはメス
・溶接でくっつけたりするのは縫合
等々・・・
業態としては
ディーラー、整備、板金塗装、修理屋などがあり
自動車業界に例えると
・葬儀はディーラー
・整備は納棺士
・板金塗装は復元納棺士
・修理・改造はエンバーマー
といったところでしょうか笑
もちろん、整備と修理をするところや、ディーラーと整備をするなど、複数業態を受け持つところもあるのも同じです
私の業態としては
販売と整備がメインだけど、ある程度、板金塗装や修理もする店的な感じだと思います
完璧を求めるなら、復元納棺士やエンバーマーに依頼するのが良いのでしょうが、費用面や時間から適度な完成度で良い場合、私のようにある程度幅広く、格安で対応できる業者は、現在の低価格葬儀時代には合っているのかもしれません
もう少し若ければ、エンバーマーの世界まで行って、復元・修復技術を極めたいなと思いましたが、現実的に、私の人生としてはここまでが縁なのだと思います
後は想像と研究と独学と経験で地道に積み上げていくしかないなと思っている感じです
そんなところですね
2025.4.10 ライバルでもあり、リスペクトもあり…
納棺備品を仕入れている業者はいくつかありますが、時々、各業者の人が挨拶に来られることもあり、近所の喫茶店でお会いすることがあります
自宅を事業所登録はしているのですが、普通に自宅なので笑、別の所でお会いするわけです
情報交換や、近況を話したり、新しい商品の紹介を受けたり、発注している商品を受け取ったり、いろいろと対話をしながら短い時間ですが過ごさせていただきます
先日、とある仕入業者の方と話していたら、次に伺うところが、自身が強く影響を受けた納棺会社でした
私自身、他県にいる後輩達との交流はありますが、近隣の同業者との交流はほぼありません
葬儀社だと、隣の市や町の業者との交流はあったりしますが、納棺業の場合、複数の市町村を超えての営業になる為、近隣の同業者は悪く言えば商売敵になる事もあり、難しいのだと思います
ただ、個人的にはその業者の社長の、所作、振る舞いが気に入ったことがこの業界に挑戦した理由でもあるので、今でもリスペクトしている旨を伝えて欲しいと、仕入業者に伝えました
今後も近隣の同業者との交流はあまりないとは思いますが、良きライバルとして、またリスペクトを忘れずに、自身の会社を運営していこうと考えております
2025.3.2 納棺士になるために⑦ 皆で共有
基本的に納棺士は男女のペアで動くことが多かったため、基本女性納棺士の方と行動をすることが多かったです
余裕のある時は時間を区切り、実際の処置や着せ替えを経験させてくれることもありましたが、最初の頃は遺体の勝手の違いにビビり過ぎて何もできないことが多かったので、時間切れになる事ばかりでした
今では当然のようにしている鼻腔に綿花を詰める行為も、当時は詰める際の圧力に混乱しまくってました
また、余裕が無い為、周囲が全く見えず、空気の読めない行動をして何度も注意をされました
「あなたは年齢が高いのでバタバタしていたら、ご遺族が通常以上に不安になるから落ち着いてください!」と施行前に言われたときは無茶苦茶緊張しました笑
他にも終わってから車の中で「私の湯灌人生で一番最悪の湯灌だった、も~最悪!」と言われたこともあります
施行台で体を起こす際、故人を一回転させたときは呆れるを通り越した女性納棺士の「勘弁してくれよ………」という言葉も印象に残っています笑
今となってはその気持ち無茶苦茶わかるのと笑、今でこそ湯灌はもとより、復元技術で葬祭師や県警の方から多少の信頼は得られる存在になりましたが、当時はキツイ指摘をよく受けました
言われて落ち込んだ時もありますが、当時夜間学校だったアカデミーが始まる前に、近所の喫茶店で同じ現場研修をしていた仲間と、お互い指摘されたこと、各納棺士の方の特徴、いろいろな感情を共有できたことは心の救いになりました
君もそんなこと言われたの~とか、それは俺も気にしてなかった今度は気を付けるわ等々…笑
綿密な資料を作成したこともあり、それを見たアカデミーの先生たちには大ウケでした
そこの納棺会社の社長が「あいつは普段そういうことを言うんだな」と、社長の知らない一面も垣間見えていたようで、盛り上がり過ぎたので、納棺士の人に迷惑が掛かるといけないと、以降はその資料は非公開資料にしました笑
現場研修はかなり現場度胸がつく経験となり、経験しない学生との精神的な差はかなりついたと思いますまた、2か月もするとある程度余裕もできてきて、遅れている他の学生へのサポートもできるようになったなと思いました
それと同時に、ある不安がこのころあたりから出てきました