徒然なるままに~
おくりびと桝田の活動やコラムを不定期に更新しております
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2025.8.7 納棺士になる為に⑪ 準備
三重に帰ってからは束の間の解放感と安らぎを感じながら過ごしていました
1ヶ月猶予はあると言っても、短いものです
その間、いろいろと県内ではありますが、日帰り旅行にも行ったりと英気を養っておりました
同時に、豊橋の物件を探す準備をしておりました
隣の豊川市の物件も見たりと、広く回りましたが、最終的には出勤場所に近いところを選択しました
6階建ての4階、エレベータあり、動物飼育可なところ(飼いませんでしたが)でした
東京時代より家賃は安い上に、広い物件でした
物品は東京時代のものを基本的に再利用しました
修行が終わり、三重に帰ってきたことの事も考え、テレビなどはパソコンにチューナーを接続するスタイルにするなど、あまり無駄なものは買わないようにしました
東京時代の引っ越しは宅配便を使いましたが、今回は車でできたので、その辺りの費用は抑えられました
自分の人生において、東京へ行くときの通り道にある町と認識していた程度の、愛知県の左腕の三河地域(豊橋、豊川、岡崎等)~静岡県東部にご縁があるとは夢にも思いませんでした
人生とはわからないものです
ある意味、全く想定していなかった地域の為、逆に新鮮に感じました
その上、豊橋は路面電車が走っていることもあり、カルチャーショックはすごかったです
慣れるまで運転はビビりまくりでしたが笑
ただ、とにかく安心だったのは車で家に帰れること
東京の半年は、週末帰っていたものの、公共交通機関利用だった為、家に何かあってもすぐには戻れないことは不安でした
自分に課した期限は3年
ここまで来た以上、納棺士として何がなんでも一人前になる!
その先はどうするのか?というのは正直全く考えてはいませんでしたが笑
既に、私が入学する前に、おくりびとアカデミーの講師をしていた人が3カ月ほど前から入っていて、ある程度下地は作ってくれていたのと、私が学生の時にアカデミーで講師をしていた人が3カ月ほどは現場に入るとのことで、戦力的には安心感はある状態ではありました
アカデミー2018卒業生から4名が入社し、二人は東京本部に、納棺部には私ともう一人の男性が配属されました
彼は浜松の方に配属されました
入社タイミングはそれぞれで特に彼らと顔を合わせることはなく、私は豊橋業務に就くことになりました
新たな挑戦が始まりました
2025.7.9 納棺士になる為に⑩ 新たな地へ
9月終わりの卒業式では、上位2名による卒業生代表スピーチがあり、ありがたくも主席卒業の私は偉そうにスピーチをさせていただきました
落ち着いて話せましたので、入学式の時にはガチガチで緊張しっぱななしだったのがウソのようでした笑
何を話したかはあまり覚えてはいないけれども、外国のメディアの方が取材に来た時に、外国の人がデモンストレーションを見て泣いていた事
海外の人でも理解できた納棺の儀は大切だ的な事を話していた気がします笑
その後、入学からの思い出のビデオ上映があったり、先生たちの動画メッセージなどをいただいたりと、少しばかり感慨にふける展開があり、その後、立食形式の懇親会がありました
何故か社長のお父さんが私に挨拶にきたりと笑、少しだけホッとした思い出があります
この辺りは記憶がいい加減でもあるのですが、その懇親会の後、上層部の方とお会いして、愛知県におくりびとの納棺事業部を立ち上げるので協力して欲しいと
数日前にも聞いていたのですが、本格的に条件提示もされながらの話となりました
それまでにもいくつか納棺会社への就職活動をしていたものの、ばか正直にいずれ地元で独立したいので就業は期間限定であると伝えていたせいで笑、良い返事はいただけてなかったこともあり、そのことを理解していただけたところに就職することにしました
とにかく、現状では戦力になれないから、現場で鍛えないといけないと思っていたわけです
その話が一通り終わってから、一部の卒業生たちと近くのレストランで食事をした記憶があります
入社は1か月後の11月
会社は愛知県豊橋市
10月いっぱいの家賃は支払い済み
1ヶ月は東京で好き勝手に過ごせるのですが、一つの目的を果たし、気持ちが抜けてしまい、基本週末には帰ってきていたのに、本格的に三重に帰りたくなりました
その為、家賃一か月分無駄にしましたが、10月初めには引き払い、荷物は全て宅急便で郵送、最後は新幹線で帰ってきました
長距離バスに乗る気力もなかったので、相当消耗していたのだと思います
東京生活の感慨にふける事も無く、私の東京時代は終わりました
2025.6.20 納棺士になる為に⑨ トップを目指す
8月も後半になってくると、将来の不安は近づいてきますが、まずは目の前の卒業試験に合格をするという必要があるので、目標に向けて動き始めました
ただ、正直その時に思っていたのはトップで通過する事でした
他の人達と違い、後が無い私には一つでも多く、箔が欲しかったわけです
現状を冷静に見た場合に、やはりキャリアの差は他の人より大きく、着せ替えに関しては互角だったとしても、他の部分ではアドバンテージはやはりあると思ってました
大人の世界の政治的な思惑があれば仕方がないとは思いましたが笑、圧倒的な差を広げるつもりでラストスパートをしてました
以前にも書いた通り、休みの日には夜行バスを利用し、三重~東京間を行き来してましたが、6時間の移動中の仮眠の時に、自身を洗脳するがごとく、録音した納棺の儀のセリフを延々とイヤホンで流していたりもしました
結果的にはこの方法はあまり効果はなかったと思います笑
大学の受験の時よりも、自動車学校の試験の時よりも勉強したこともあり笑、9月初めには十分仕上がっていたので、いつでもOKという状態になっていました
その為、休みが多く、進捗の遅かった人たちを誘って、試験前、最後の2日間は、一日6時間の事実上その人たちの為の合宿をさせてもらう余裕もありました
教えることも自分たちの役に立つので、自身の最終確認にも良かったです
教室が開いているときは自由に利用して良いという環境だったのは助かりました
当時、試験は3日間あり、一日目は筆記試験、2日目はスーツと神衣の着せ替え試験、3日目は仏衣の着せ替えかつ、最初の挨拶から終了して退席迄の納棺式一連の流れを行う、最も重要な試験でした
1日、2日目を順調に消化し、いよいよ3日目を迎えましたが、順番は最後だったため、ずっと待たされることになりました
先に試験を終えた人の絶望感や、これから試験を受ける人の無茶苦茶緊張している姿を尻目に見ながら、私個人は早く見てもらいたいなという、楽しみに近い待ち遠しさを感じておりました
それだけ十分すぎるほど仕上がっていたわけです
ようやく時間になり、試験になりましたが、ほぼいつも通りの心理でできました
途中、先生や社長がアドリブを仕掛けてきましたが笑、こちらもアドリブでし返す程度には落ち着いてました
終わってから、審査をしていたNKの社長から、場面の風景が想像できてとても良かったと言われたのにはさすがにホッとしました
ここからは記憶があいまいなところもあるのですが笑、17時ごろに試験が終ってから、社長から話があると言われました
後から聞くと、一部の生徒には話があったようですが、今後の予定をいろいろと伺い、それに対して、前向きな返事をした記憶はあります
何かよくわからないけれども、一気に事が進み始めている気がするなと思いながらも、試験の終わった解放感もありつつ、帰路につきました
2025.5.27 納棺士になる為に⑧ はらえぬ不安
当時の私は、納棺士として会得したい技術として
①着せ替え
②化粧
③処置
④顔剃り
がありました
今となってみればヘアセットもとても重要な部分ではあるのですが笑、当時は上記の4つが最重要会得目標でした
それらを会得する為に、自分でも資料や道具を集めて研究をしたりと、とにかく様々な事をしていました
今となってみれば、それらのほとんどは役には立っていません苦笑
ただ、この探求する心が今の私を作ってはいますが笑
実際、着せ替えの練習に関しては物凄くしていたのでかなり上達はしました
しかし、それ以外に関してはどうしても経験が不足していると思いました
当然ながら、今日はこのご遺体で処置や顔そりの授業をしましょう!というわけにはいかないわけです
授業に合わせて、立ち会い無しの、処置のし甲斐のあるご遺体が都合良く複数体現れるわけはありません
また、男性ということもあり、化粧に関してはどうにもならない現実に焦りすら感じていました
定期的に面談をしてもらえるので、その都度、追加でその辺りの授業を増やしてほしいとはお願いしていましたが、結果的にはその希望は通りませんでした
ただ、仮に通っていたとしても、では納棺士レベルになれるかと言えば無理だなとも思ってました
やはり半年で帰るのではなく、現場で1~3年、納棺会社で実戦を積む必要があるなと感じ始めていました
その為、たまたま地元で古巣の会長とお会いした時に、もう少し時間が掛かると、その旨を伝えたりもしました
家族にも了解は取ったものの、就職する会社は未定なこと、卒業試験が近づいてくる中で、次の段階を考え始めることになりました
2025.5.2 弊社の事業形態の例え笑
個人的に、自動車などのレストア番組や動画を見るのが好きです
見ていると、レベル云々は置いておいて、我々の業界との共通点も感じたりします
作業としては
・塗装はリキッド&パウダーファンデ、ハイカバー
・プライマーはルースパウダー、ドライエン、スキンフィルム
・パテはワックス、ワセリン、紙粘土
・膨らますのは造形剤や脱脂綿
・腐った部分を切り外すのはメス
・溶接でくっつけたりするのは縫合
等々・・・
業態としては
ディーラー、整備、板金塗装、修理屋などがあり
自動車業界に例えると
・葬儀はディーラー
・整備は納棺士
・板金塗装は復元納棺士
・修理・改造はエンバーマー
といったところでしょうか笑
もちろん、整備と修理をするところや、ディーラーと整備をするなど、複数業態を受け持つところもあるのも同じです
私の業態としては
販売と整備がメインだけど、ある程度、板金塗装や修理もする店的な感じだと思います
完璧を求めるなら、復元納棺士やエンバーマーに依頼するのが良いのでしょうが、費用面や時間から適度な完成度で良い場合、私のようにある程度幅広く、格安で対応できる業者は、現在の低価格葬儀時代には合っているのかもしれません
もう少し若ければ、エンバーマーの世界まで行って、復元・修復技術を極めたいなと思いましたが、現実的に、私の人生としてはここまでが縁なのだと思います
後は想像と研究と独学と経験で地道に積み上げていくしかないなと思っている感じです
そんなところですね
2025.4.10 ライバルでもあり、リスペクトもあり…
納棺備品を仕入れている業者はいくつかありますが、時々、各業者の人が挨拶に来られることもあり、近所の喫茶店でお会いすることがあります
自宅を事業所登録はしているのですが、普通に自宅なので笑、別の所でお会いするわけです
情報交換や、近況を話したり、新しい商品の紹介を受けたり、発注している商品を受け取ったり、いろいろと対話をしながら短い時間ですが過ごさせていただきます
先日、とある仕入業者の方と話していたら、次に伺うところが、自身が強く影響を受けた納棺会社でした
私自身、他県にいる後輩達との交流はありますが、近隣の同業者との交流はほぼありません
葬儀社だと、隣の市や町の業者との交流はあったりしますが、納棺業の場合、複数の市町村を超えての営業になる為、近隣の同業者は悪く言えば商売敵になる事もあり、難しいのだと思います
ただ、個人的にはその業者の社長の、所作、振る舞いが気に入ったことがこの業界に挑戦した理由でもあるので、今でもリスペクトしている旨を伝えて欲しいと、仕入業者に伝えました
今後も近隣の同業者との交流はあまりないとは思いますが、良きライバルとして、またリスペクトを忘れずに、自身の会社を運営していこうと考えております
2025.3.2 納棺士になるために⑦ 皆で共有
基本的に納棺士は男女のペアで動くことが多かったため、基本女性納棺士の方と行動をすることが多かったです
余裕のある時は時間を区切り、実際の処置や着せ替えを経験させてくれることもありましたが、最初の頃は遺体の勝手の違いにビビり過ぎて何もできないことが多かったので、時間切れになる事ばかりでした
今では当然のようにしている鼻腔に綿花を詰める行為も、当時は詰める際の圧力に混乱しまくってました
また、余裕が無い為、周囲が全く見えず、空気の読めない行動をして何度も注意をされました
「あなたは年齢が高いのでバタバタしていたら、ご遺族が通常以上に不安になるから落ち着いてください!」と施行前に言われたときは無茶苦茶緊張しました笑
他にも終わってから車の中で「私の湯灌人生で一番最悪の湯灌だった、も~最悪!」と言われたこともあります
施行台で体を起こす際、故人を一回転させたときは呆れるを通り越した女性納棺士の「勘弁してくれよ………」という言葉も印象に残っています笑
今となってはその気持ち無茶苦茶わかるのと笑、今でこそ湯灌はもとより、復元技術で葬祭師や県警の方から多少の信頼は得られる存在になりましたが、当時はキツイ指摘をよく受けました
言われて落ち込んだ時もありますが、当時夜間学校だったアカデミーが始まる前に、近所の喫茶店で同じ現場研修をしていた仲間と、お互い指摘されたこと、各納棺士の方の特徴、いろいろな感情を共有できたことは心の救いになりました
君もそんなこと言われたの~とか、それは俺も気にしてなかった今度は気を付けるわ等々…笑
綿密な資料を作成したこともあり、それを見たアカデミーの先生たちには大ウケでした
そこの納棺会社の社長が「あいつは普段そういうことを言うんだな」と、社長の知らない一面も垣間見えていたようで、盛り上がり過ぎたので、納棺士の人に迷惑が掛かるといけないと、以降はその資料は非公開資料にしました笑
現場研修はかなり現場度胸がつく経験となり、経験しない学生との精神的な差はかなりついたと思いますまた、2か月もするとある程度余裕もできてきて、遅れている他の学生へのサポートもできるようになったなと思いました
それと同時に、ある不安がこのころあたりから出てきました
2025.2.14 納棺士になるために⑥ 湯灌の研修
6月からの湯灌サービスの現場研修に参加する為、希望者は授業とは別に、アカデミーに湯灌会社の講師を招き、2回ほど、湯灌の説明、練習がありました
現場研修とはいっても、ただ現場を見学するのではなく、担当者の補助として現場をサポートする必要があり、サブスタッフとして働く為、バイト代、交通費が出るものでした
アカデミーの授業でも湯灌授業はありましたが、それよりも実践的なスタイルでの練習でした
葬祭時代に傍から見て多少わかっているつもりでしたが、いざやってみると慣れない動きにかなり苦労しましたが、ついにここまで来た!これで現場に行ける!みたいな充実感もあったので、夢中になりました
湯灌サービスには主に①浴槽を持って行うシャワー湯灌、②体を濡れた脱脂綿などで清拭する清拭湯灌(メイクドレス等)の2種類があります
前日までにアカデミーから翌日の施行場所、時間、納棺士の名前、待ち合わせの場所等が提示され、そこへ向かい、納棺士の人と合流、車に乗せていただき現場まで行くというのが多かったです
まれに葬儀会館への現地集合の時はプチ旅行みたいで少し楽しかった覚えがあります
バイト範囲は千葉県を中心に、埼玉、東京の三県が中心でした
清拭湯灌は割と見学に近い環境で携われましたが、シャワー湯灌の場合はサブとして動きまくる必要がありました
始めは、メインの人が処置をしている間に、サブの私は浴槽を組み立てたり現場を整える役割があり、15分程度で終わらせないと、メインの人を待たすことになるので、最初の頃は無茶苦茶焦りました笑
また、メインの人が頭のシャンプーやコンディショナーをしている間に、サブの私は故人の洗体をする為、両方がなるべく同じ時間が終わるようにする必要もあり、最初の頃は合わせるのが難しかったです
その後、メインの人が着せ替えなどをしている間に、道具を片付け、車に運ぶ必要もあり、そのあと、旅支度などの補助へ移行する為、終わるころにはヘトヘトにになったものです
今では一人でシャワー湯灌をしている私ですが、この頃は半人前どころか4分の1人前だったと思います
教える側になってわかりますが、慣れない新人を連れて行くと気を使いまくるものなので、当時の納棺士さんには相当負担をかけただろうなぁとは思いましたが、その頃は、時間、周りを見る余裕などなかったのでとにかく必死になっていた覚えがあります
そのような感じで、現場研修が始まりました
2025.1.9 新年が始まりました
昨年はいろいろと自身の環境が色々と変わりバタバタしておりました
今年はいろいろと周囲の環境が変わるようなので、その流れに多少なりと関われるとありがたいなと思います
年末、年始と有難い事に依頼を頂いている為、ホッとしております
月の出足が良いと安心するのは今も昔も変わりません
人の生き死には操作できないので仕方がないのですが、仕事が止まると不安になるのものです
それが月の始めから続くと、いくら前月の成績が良くても、気分が上がりづらかったりします
納棺や葬祭に関わらず、経営する立場の人達、共通の心理かもしれませんね
私の場合は、主に①最低獲得利益、②安定獲得利益、③上乗せ利益と三段階を設け、最初に低い目標を設定することで、精神を安定させ、前向きな心理になりやすいようにしています
自身の性格を考え、自身の気持ちが落ち着くスタイルを模索していますが、今のところはこれが良いようです
近所の神社のおみくじでも、むやみに動かず、流れを待てと出ているので笑、今年もぼちぼち頑張ろうと思います
2024.11.26 各サービスの感覚的負荷
シャワー湯灌新サービスの準備や、業務が忙しかったこともあり、更新が途絶えておりましたが、ようやく安定したので再開です笑
私のしているサービスは主に3つ
メインは
・湯灌・納棺サービス
ですが他にも
・葬祭担当サービス
・司会進行サービス
があります
経験から感じる負荷は
葬祭担当…お迎えから打合せ〜、お別れ〜出棺を緩やかなピークに、後飾りを持って終了
2日から3日間の穏やかな緊張感がずっと続く感じです
司会進行…通夜1時間前から始まり、お別れ前ナレーション〜お別れをピークに出棺までの、役18時間、緊張が続く感じ
最後に山が来る!といったところです
湯灌納棺…挨拶から終了までの約2時間弱を全力で全集中を続ける感じ
全力連続坂道ダッシュ!笑
どれが楽という事はなく、終了後の達成感は同じです
私の場合、状況により、三つ全て施行したり、湯灌・納棺~司会進行になることも多々あるので、上記の負担が一気に来ることもあります
連続して仕事が続くと、肉体はもとより精神が疲れるので、心が摩耗して、仕事以外では人間的思考を閉じることもあります
脳に備わった防衛機能かもしれません
そんなとき犬や猫と過ごすと、癒されるというのもありますが、思考がシンプルになりリラックス出来ることもあり、助かってるなと思うことも多いです
そんな事を考えたりしながら犬の散歩したりもしてる訳です
2024.06.29 納棺士になるために⑤ 授業スタイル
基本的に授業は着せ替え、座学(知識・勉強)、化粧・処置の授業でした
納棺にとどまらず、葬祭全般の勉強もありました
当時は、港区三田の寺院の一部を間借りしていたこともあり、着せ替えは広い和室、座学・処置は画像のような教室で行われることが基本でした
葬祭を15年以上していたこともあり、座学に関しては他の人と比べるとアドバンテージを感じたものの、着せ替えや処置的なものはとにかく0からのスタートでしたので必至でした
定期的な試験もあったので、改めて葬儀概論などの専門書をきちんと読み返すことが出来たのは良かったと思います
また、葬祭を長くやっていると経験や勘のようなもので乗り越えられることも多くなりますが、グリーフサポートや法律、業界関係やサービス心理などを学術的に学ぶことが出来たことはとても役に立ちました
ただ以前にも書きましたが、とにかくはじめの頃は毎回毎回緊張していました
その上で、実質最初の授業となった日に、生徒12名を6人ずつのAB2班に分けられたのですが、年齢・経験を考慮されたのか、B班長に任命されたこともあり、輪をかけて緊張しました
班長といっても、あまり重要な役割はなかったのですが、みんなの相談役みたいな感じになってました
どちらかというと私が相談したかったぐらいなのですが笑
そんな中でも一緒に練習してくれた仲間達にはかなり救われたなと思ってます
練習に誘ってくれる人がいたというのはとてもありがたかったです
6月に入ると、いよいよ湯灌のサービスのサポートのアルバイトが始まることになり、実践に飢えていた私はいの一番に参加を希望することになりました